三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

夕暮れの、得も言われぬ"エモさ"について

 夕暮れは人をエモーショナルな気分にさせる。一説によるとこれは人間の遺伝的なアルゴリズムに組み込まれているという。というのも太古の昔、電気もガスもなかったころ、人間のご先祖様は当然、朝明るくなれば起き、暗くなれば床に就くという生活をしていた。そして、昼と夜の間、つまり夕暮れ時は寝る前の準備期間であり、その夕焼けのオレンジを眺めると、心が休まり、スムーズに安眠できるという。確かに、夕焼けの景色を見て、覚醒状態になってしまうことはまずないし、仮にも覚醒状態になってしまうようだったら、人間は夜行性の生き物になっていたのかもしれない。

 ただ、現代社会の人間にとっては、そんな遺伝的なシグナルを一切無視して、いよーぅし、最後のひと踏ん張りだとかなんとか言って、せっせせっせと働き詰めをする。これは、電気の発明、そして時間という概念の創出が生み出した資本主義の…という話は一先ず置いておいて、人間は、煌々としたオレンジ色の光を見ると、どうも落ち着いてしまうようだ。たとえば、火のオレンジ色だってそうである。キャンプのとき、燃え続ける薪をくべて、ただただそれが燃える様子をぼんやりと眺めているだけでも飽きることはない。それをもっと重ねて、キャンプファイヤーにしたって、その炎のダイナミックに揺れ動く様に見とれてしまうのだ。そんなわけで、夕暮れ時という、得も言われぬ安らかで、あゝ今日ももう終わりか…という気分にさせるのは、やはりこの人間の遺伝なんですよ的な説を支持したい。

 そういうわけなのか、夕暮れ時を題材にした、作品はたくさんある。やはり人間というもの、その美しさだったり感動を歌にしたい衝動に駆られてしまうのだろうか。なんと素晴らしい生き物なんだろうか。そうして生み出された、数ある"夕暮れ作品"の中でも、筆者が好きなのはエレファントカシマシの「暮れゆく夕べの空」だ。間奏に入る枯れたギターの音が、夕暮れ時に電柱のスピーカーから流れるメロディーのような哀愁を醸し出し、楽曲のカラーをたちまちオレンジ色に染め上げる。そして、なんといっても歌詞が秀逸だ。

〈暮れゆく夕べの空子供達が帰る頃
聞こえてくるだろう夕方の音が〉

暮れゆく夕べの空を背景に、子どもたちが家路に戻るころ、夕方の音が聞こえ始める―。この部分だけで、日本の何気ない日常が、実に端的に表現されている。オレンジ色の空には黒いシルエットが点々と、遠くからはカラスの鳴き声が、近くの家からは夕飯を作る忙しそうな音が―。そんな情景が、この一曲に凝縮されて詰まっているのである。

 実生活において感じた"夕暮れエモーショナル"といえば、電車の中から見えた夕焼けだ。あれは確か埼京線だったと思う。例によってエレファントカシマシを聴いていると、漏れ出る光を押さえつけようとしているような雲の隙間から突然、宝石のような夕焼けが現れた。それに気が付いた子どもが「あっ」といって指さした。するとスマートフォンを眺めていた大人も、しばしその宝石に目をやり始める。緑ががかった空に、灰色と青色の絵の具を混ぜたような雲と鮮やかな夕焼けのコントラストが、動く絵画のようになっている。その様は本当に美しかった。車内にいた全員が見とれていたような気がする。スマートフォンなんていう文明の利器を置いて、先祖に立ち返り、周りの景色を眺めているのもたまにはいい。そして思った、夕暮れはエモいなぁ。

 

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