三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

今もなお、色褪せぬ眼差し——エレカシ全作レビューⅠ『THE ELEPHANT KASHIMASHI』

時間がたっても古臭くならない――そんな作品があるとしたら真っ先にエレファントカシマシのファーストアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』を挙げるだろう。1988年、平成末期"バブル景気"真っただ中の日本で産み落とされた本作。ただ、好景気に浮足立ったような華やかさはみじんも感じられない。それどころか、そんな日本社会に足を突っ込むことなく、家の中で引き籠り、俯瞰的にあざ笑っているかのようさえある。そして、空を切り裂くような鋭いサウンドに乗せられるメッセージはひたすら冷笑的で明快だ。

 

シンプルなギター・リフで、アルバムの幕開けを告げる「ファイティングマン」では、〈権力者の力には鼻で笑って答えろ〉と歌い上げ、続く「デーデ」では資本主義社会の皮肉を〈金があればいい〉とコミカルに描写しきる。極めつけは、日本の"天皇制"を賛美するかのような「星の砂」——。一見するとセンセーショナルに見えてしまうこうした政治的なメッセージではあるが、"右"だとか"左"だとか、そうしたイデオロギーの対立はそこには持ち込まれていない。社会の現状に対し、地上戦でぶつかり合おうとするのではなく、あくまでもスナイパーのように遠くから強烈な一発をおみまいしていくことに徹しているのだ。 

 

この作品には、時代や、シーンというものに対する迎合が一切ない。そこにあるのは、RCサクセションとThe Rolling Stonesに憧れたロック少年がかき鳴らし、叫ぶ、とてつもない程の"衝動"だけであった。無論、リリース当初のセールスは芳しくはなかった。その当時といえば、バンドブーム最盛期。エレカシの同期にはUNICORNがいて、さらにはTHE BLUE HEARTSがシーンを席巻していた時期である。ただ、今現在、彼らの当時の楽曲は本人の手で演奏されることはほとんどなくなってしまった(ご存じの通り、THE BLUE HEARTSは解散してしまった)。

 

他方、エレカシは今でもライブで『THE ELEPHANT KASHIMASHI』の中の楽曲を演奏する。それも当時を振り返るのではなく、まるで新曲をやるかのように。今や「ファイティングマン」はライブを締めくくるアンセム・ソングとなり、老若男女の観客は一斉にこぶしを振り挙げるような曲へとその姿を変えた。叫びの強度は、時代や価値観の変化を乗り越え、リリースから30年以上たった今なお保たれるどころかさらに増されているのである。

 

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