三浦日記

音楽ライターの日記のようなもの

"エレカシ流グルーヴ"の芽生え——エレカシ全作レビューⅡ『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』

2作目というのは、ある種アーティストにとって一つの関門である。1作目の成功が仇となりそのまま没落していくか、Nirvanaのように『Nevermind』で爆発的なグランジ・ムーブメントを巻き起こすか。あるいはOasisの『Morining Glory (What's The Story?)』のように、1作目に続き2作目も大ヒットを収めるのか。無論、エレファントカシマシにとってはそうした関門というのはあってないに等しかった。

 

というのも、当時の邦楽シーンにとって彼らの音楽というのは前提としてメイン・ストリームになるどころか、そもそも世間からは見向きすらされないようなものであったのだ。実際、本作の唯一のシングル・カットである「おはようこんにちは」もCDの売り上げランキング圏外という結果に終わっている。しかしながら、それは作品として決して劣っているというわけではない。現在、リリースから30年という時を経て、ライブやフェスでヒット曲と肩を並べるほどのアンセム・ソングとなったことがそれを証明している。

 

さて、そんな今作であるが、RCサクセション直系のスピード感のあるロックンロール・アルバムという感じの前作から一転、ミドル・テンポの楽曲が軒を連ねる。すると、スピード感に隠れていたエレファントカシマシの不思議なグルーヴ感が露わになる。1曲目「優しい川」では、冒頭のギター・アルペジオの部分こそ朗々とドラム・ビートに合わせて歌う宮本であるが、サビ前の部分になると拍を僅かにずらしながら、裏拍子に近い乗せ方に豹変する。そして演奏の方は何事もなかったかのようにジャストなタイミングでボーカルに合わせていく。「おはようこんにちは」でも、終始ビートに対してかなり後ろでアプローチ置きながら歌い上げる宮本に引っ張られるように、"タメ"を作りながら演奏隊がついていく。そう、この不思議なグルーヴ感は、宮本の独自のタイミングにバンドという集合体が一心同体となって同調していくことで生まれているのだ。

 

バンドが演奏する際というのは基本的に、その"楽曲"にそれぞれのパートのベクトルが向けられるはずであるが、彼らの場合は宮本に全パートのベクトルが向けられているということなのである。そしてこのスタンスは、後年の作品でも基本的に変わることはない。その意味において、『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』は"エレカシ流グルーヴ感の発現"が感じられる第1作品目であるといえるのではないだろうか。

 

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